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Channel: せとうちタイムズ(尾道市因島・瀬戸田地域の週刊新聞)
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土生―生名―三原の高速船 新しく田熊町に寄港 11月の開始めざし桟橋設置

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土生―生名―三原の高速船を運航している土生商船(弓場丞社長)は、因島田熊町寄港を11月にも開始する。それにむけて、因島モール護岸に桟橋を設置する工事に着手する。この工事は、ハローズ、ユーホーとの共同出資で総工費約3000万円。

便数は従来通り12往復。片道料金(大人)は、生名―田熊330円、田熊―三原1,000円、土生―三原が1,260円の予定。三原港最終便が午後9時10分から同10時ころに変更予定。

桟橋設置予定の因島モール護岸(ダイソー裏側)

桟橋設置予定の因島モール護岸(ダイソー裏側)

上島町と田熊町 利便性の向上へ

高速船田熊寄港の開始は、しまなみ海道の利便性を補完する海上交通の充実をめざしてきた土生商船の新しいサービスの開始となる。とりわけ上島町と因島田熊町の通院、通学、買い物の利便性向上が期待されている。

三原港から尾道総合病院(JA病院)や三菱三原病院などへの通院がしやすくなる。港から両病院への無料送迎バスが運行されている。三原市方向への通学者にも朗報になる。因島田熊町の場合、自転車で桟橋に向かい乗船することがいっそう容易になる。

上島町の住民にとっては因島モールなどでの買い物が気軽にできるようになると予想される。

土生商船の弓場丞社長は「車を使えない高齢者も気軽に出かけられるようにサービスを提供したい。これからも海上交通を充実させたい」と語った。

弓場丞社長(土生商船)

弓場丞社長(土生商船)

傍目八目(おかめはちもく)

瀬戸内海の島しょ部の集落は島かげの入江を中心に型づくられている。人の流れによっては荷車を利用したり、隣村に行くのは船を使ったりしながら今日に至ってきた。歳月の流れは早く10年ひと昔というが市町村合併などの国の施策などもあって市町の”型”の変化もいちじるしい。かつて尾道―瀬戸田―土生港(因島)―今治間の国鉄連絡船の航路があったことを記憶している人も少なくなった。

因島田熊町の内海造船が大手スーパーや銀行支店などが集って商店街が生まれたが、島内の商戦は一応おさまり、次なる商戦は対岸の上島四島が照準に当てられ、ハローズとユーホーの共同出資により桟橋を設置。11月から土生商船の高速船の航路延長を活用させ三原航路の活路をひろげる。

かつて卜部(うらべ)造船所として埋め立て地にドックを掘り造船所を設立。まぶたに浮ぶのは学徒動員で福山の誠之館中学の生徒が少年志願兵として出兵する級友をススキの穂の間から手を振る船の別れの場面である。

(村上幹郎)


ビーチ清掃に153人

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因島ボランティア連絡協議会は5日、因島大浜町のアメニティ公園としまなみビーチの清掃を行なった。

16団体153人が雑草、空き缶、花火、流木などを収集した。

参加団体は次の通り。

大浜地区社協▽同おしゃべり会▽因島高(野球部、バレー部)▽朗読ボランティアなぎさ会▽因北中▽精神ボランティアなないろ▽子育て応援団ほっとの会▽しまなみスポーツクラブ▽田熊民生委員▽やすらぎ赤十字奉仕団▽ポプラの会▽遊喜の会▽田熊地区社協▽重井中▽いづみ会▽土生民生委員。

草花に親しむ日々 池田友幸さん(因島三庄町)

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サギソウ サギソウ サギソウ サギソウ サギソウ サギソウ サギソウ

らん科の花「サギソウ」を自宅の庭で育てつづけて35年が過ぎた。因島三庄町9区の池田友幸さん(91)は、友人に誘われ甲山の山に登り、その花に出会った。

池田友幸さん

池田友幸さん

「山野草ポケット図鑑」に次のようにある。

「山地の日当たりのよい湿地に生える多年草。茎は高さ20~40㎝。葉は互生し幅広い線形。花期7~8月。茎の先にサギの飛んでいる姿に似た純白の美しい花を1~2個咲かせる」

この花は球根で、1株に三つ付いている。毎年、1が3、3が9と、3の倍数ずつ増えていき、300株を超えた時に、同じ町の人たちに配るようになった。

現在も、春の彼岸のころ植え替えて株分けし、蕾ができたころに鉢ごと知人に渡している。

池田さんは不思議がる。なぜか庭のサギソウの一番花が8月6日に咲き、20日ころまで咲きつづける。

「じっと見ていて楽しいという心境になる。みんなに喜んでもらえることが嬉しい」と語る。池田さんはこの花を手間をかけて育てることが「自己表現」になっているとも言う。

因島ユネスコが因南中で講演会

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因島ユネスコ協会(松浦暁美会長)は4日、ユネスコの日(7月19日)に因んだキャリア教育講演会を因島南中学校で全校生徒223人を対象に開催した。

講演は、中国新聞尾道支局の新山京子記者の「チャレンジ!」。

広島市での中高生活からアメリカの大学留学への挑戦、さらには帰国後の中国新聞での記者生活の体験を生徒に語りかけた。

新山京子記者

四国遍路スケッチの旅【56】19番札所 立江寺(徳島県小松島市)

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19番札所 立江寺(徳島県小松島市)

今朝は、まず最初に18番恩山寺を経て、次にここ19番立江寺に到着す。この寺は四国霊場に4つある関所寺のひとつとされている。

罪人や邪心をもった人は、関所で大師のおとがめをうけねばならない、ということらしい。小生はスケッチを第一とするのだが、参拝もちゃんと済ませるのだから邪心ではないので、おとがめはないだろう。

さて、スケッチだがまず山門に入って目についたのが、多宝塔とそばに立つ大師像だ。

四国霊場の中には各所で多宝塔や大師像は見うけられるが、スケッチとなるととかく本堂や大師堂に目が向けられがちだ。今回は、その多宝塔に大師像を配してスケッチしてみた。

スケッチを終え、山門を出ると門前に古い店舗(酒井軒本舗)に「たつえ餅」の旗が立っているので買い求め、車内で食べてみた。黒米とむぎ餡の珍しい餅で美味しい餅だった。

(絵・文 大橋博)

19番札所 立江寺(徳島県小松島市)

「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【27】第五章 運命の電話

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慰霊行事の直前に訪れた夫妻からの聞き取りによって、仲宗根さん一家の実像がさらに明らかになった。

ご主人は、当時地元の小学校の教師をしていた父の教え子である。生前の父と畑仕事で出会うたびに互いの空襲体験を語り合ったという。

来意を告げるとご主人は言った。

「そうじゃろうね、今、仲宗根さんが亡くなったことを覚えているのはワシぐらいしかおらんじゃろうなあ」

仲宗根さんの家族のことを覚えているか尋ねた。

「お祖母さんと話をしたことがない。母親や子供とも会った記憶がない」

という返事だった。

無理のないことだと思った。同席している奥様の話で納得した。

「沖縄が危ないので大阪に疎開し、大阪が危なくなったので、お祖母さんをたよってやってきた。ちょっとしかおらんかった」

彼女は仲宗根さんの長女と同級生だから学校での思い出として語ることができるのである。

仲宗根家の動きはある程度推測できる。

大阪に向ったのは那覇市が空襲された昭和19年10月10日以降であろう。そして年を明けての3月、大阪への猛烈な爆撃が開始された。焼夷弾、大型爆弾、機銃掃射などによる、8回にわたる空襲で大阪の市街地は焦土と化し、一万人以上の住民が犠牲になった。

仲宗根さん一家も逃げ惑ったに違いない。やがて因島行きを決断する。最初の空襲があったのが3月の13日から14日にかけてであるから、因島に向ったのは早くとも4月以降である。したがって、空襲で亡くなるまで島にいたのはわずかだったということになる。

仲宗根家の長女と同じ4年生であった奥さんの話は興味深い。1学年は150人で三クラスだった。町の自給製塩所作りに毎日動員された。同級生の仲宗根さんの死について次のように回想してくれた。

「沖縄から逃れて大阪に行き、大阪が大変だと言って因島に来て死んで可愛そうだったねと同級生で話していた」

遠方からやってきた同級生の死は幼い子供たちの心を揺さぶったに違いない。

なぜ仲宗根さんの家族は防空壕に入らなかったのだろうか。奥さんは次のような話を聞いたという。

「在郷軍人が『防空壕に入れ』と言いにきたが、『私らは逃れてきたから大丈夫です』と言った。皆布団をかぶっていた」

沖縄から大阪。幾度戦火から逃れてきたのか。ついには瀬戸内の島にまでやってきたのである。幼い子供たちが五人もいる家族は疲れきっていたのであろう。危険を回避する気力さえ失っていたのかもしれない。そこを無惨にも一発の爆弾が襲ったのである。

仲宗根さん一家の遺体がどうなったのだろうか。夫妻に尋ねた。ご主人の記憶は次の通りである。

「人間が避難する防空壕の先にあった弾薬用の壕に空襲で死んだ人を集めた。荼毘に付したのは、当時の火葬場の先の一山越えた砂浜。遺体を石で囲み、山の木を乗せて、遺族の立会いのもとに焼いた」
私はこの話に安堵した。生き残ったお祖母さんに見守られ亡骸は荼毘に付されたのだ。

こうして私の内面に仲宗根さん一家の実像がしっかりと形成されていった。悲劇から69年を経て初めての慰霊行事の日が迫った。

(青木忠)

塩川正十郎さん 囲碁殿堂資料館オープンの思い出

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塩川正十郎さんがシルバーウィークが始まろうとしていた19日、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。93歳だった。小泉政権で財務相を務めた「しおかわ・まさじゅうろう」元自民党衆議院議員で2001年4月から03年9月まで務めた財務相時代は当時の小泉純一郎首相の番頭役として政権運営全般に影響力を発揮した「塩爺(しおじい)」といえばその知名度は幅ひろい。歯に衣を着せぬ発言や、とぼけた物言いで小泉政権の財務運営の矢面に立った。

一例をあげれば財政委員会で「母屋でおかゆ食って節約。離れ座敷で子供がすき焼きを食っている」と特別会計の無駄遣いを指摘した―ほか関西なまりの塩じいさんのエピソードをあげれば切りがない。その塩じいさんに直接お会いしたのは日本棋院創立80周年記念囲碁殿堂資料館第一回殿堂入りした本因坊秀策の関係者の一人として招かれた来賓控え室だった。「日本棋院にどうして関西棋院が勝てないんですかねえ」とオープニングの弁。

(村上幹郎)

瀬戸田町で島づくり会議

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これからの因島・生口島について考えようと、「まぜこぜ島づくり会議」プレビュー会が12日、瀬戸田市民会館で開催された。

島を衰退させてはいけない、よりよい島をめざそうを合言葉に農業、民生委員瀬戸田高校島おこし事業部など12分野の21人が集まり意見交換を行なった。

この会合は、プレビュー会と銘打たれている。こうした意見交換の場を積み重ねながら規模の大きい会議を行なう予定だという。

瀬戸田町で島づくり会議


因北中と尾道大ライブアート

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生徒の目の前で絵画作品の解説をしたり、実際に絵を描いていく、「ライブ・アート」が14日、因北中学校であった。

演じたのは尾道大学大学院美術研究科一年生8人。

同校体育館に集まった全校生徒を前にして、濱本かよみ校長をモデルに絵を作成。

つづいて院生が、それぞれの作品約100点について解説した。

生徒は絵を鑑賞し、絵を描く手ほどきを受けた。

因島高校定時制生徒 二輪の交通安全教室

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因島高校定時制は仕事を持つ生徒も多く、二輪車登校を許可制にしている。

因島警察署の全面協力を得て3日、二輪車の運転指導に絞った交通安全教室を開いた。

定時制生徒玄関前広場が臨時走行訓練場になった。寺内祐治地域交通課長ら署員5人が来校し、実技訓練を行なった。

最初に事前準備。

  1. 服装点検・手袋・長袖、ヘルメットの正しい着用
  2. 車両点検
  3. 乗車姿勢指導
  4. 安全確認。

つづいて白バイによる展示訓練。「どうして320キロもある白バイをあんなに自由自在に操ることが出来るのか」と驚嘆の声が上った。

基本訓練は、発進・停車▽八の字走行▽一本橋走行▽スラローム走行▽坂道発進。最後は、設営したコースを利用した法規走行。
生徒代表5人がバイクで参加。訓練後は見違えるほど綺麗な運転姿勢に変わった。見学の生徒も安全運転への意識を高めた。

しまなみ苑で美容師が整髪

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広島県美容業生活衛生同業組合因島支部(村上淑興すみよ支部長)の美容師13人が14日、因島三庄町の介護老人福祉施設しまなみ苑で整髪奉仕活動を行なった。

今年で15回目。この日を楽しみにしていた利用者90人が、苑内3カ所でサービスを受けた。

終了後、美容師たちは利用者と昼食を共にした。

全国の子供たちが背比べ 5m超のひまわりが優勝

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全国30都府県1731施設6万7171人の子供たちが育てたひまわりの背たけを競う「ひまわりのせいくらべ」の表彰式が13日、万田発酵敷地内であり2000人が集まった。

647枚の寄せ書きが会場内に展示され、ステージで表彰式が行なわれた。

第一位=東岸和田保育園(大阪府)5メートル12センチ▽第二位=ひばり保育園(福岡県)5メートル3センチ▽第三位=鏡しらぬい保育園(熊本県)4メートル78センチ。

尾道市長賞=百島幼稚園▽尾道市教育委員会賞=中庄幼稚園▽三原市教育委員会賞=幸崎小学校▽福山市教育委員会賞=かやのみ幼稚園▽因島商工会議所会頭賞=栗の実保育園(神奈川県)▽因島観光協会会長賞=ほなみの杜保育園(宮城県)▽広島県私立保育園連盟賞=仁風園▽広島県私立幼稚園連盟賞=青葉幼稚園▽万田発酵会長賞=プレスクール・エンゼルネットKidz Lab(京都府)▽同社長賞=アスール幼稚園(大阪府)。

【寄せ書きの部】最優秀賞=くまた保育園(宮崎県)優秀賞=美徳保育園(愛媛県)▽畷すずらん保育園(大阪府)▽上尾きたはら幼稚園(埼玉県)▽七光保育所(島根県)▽ひのでの森ほいく園(千葉県)▽三浦保育園(長崎県)▽外浦保育所▽和光園保育所▽めぐみ保育園(福岡県)▽星ヶ丘保育園(同)▽三丘保育園(山口県)。

「えがおいっぱいで賞」を受賞した西浦保育所園児たち

「えがおいっぱいで賞」を受賞した西浦保育所園児たち

海上自衛官54人 西浦保育所で汗流す

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海上自衛隊補給艦「とわだ」乗員54人が17日、西浦保育所での奉仕活動に汗を流した。先任海曹室の菊池正さんらは、

  1. 砂場掘り起こし
  2. 側溝清掃
  3. 木のせん定
  4. 塗装を

約2時間で仕上げた。その後、綺麗になった庭で園児56人との交流会が開かれ、自衛官がラッパ演奏と紅白の手旗信号を披露した。

殿山泰司生誕百年を記念 三文役者映画祭・瀬戸田

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設立29年を迎える「せとだ名画鑑賞会」は10月11日(日)午後2時、ベルカントホールで、殿山泰司生誕百年記念「三文役者」映画祭を開く。

名脇役で知られる殿山泰司の父は瀬戸田町出身。

午後2時、殿山泰司をモデルにした映画「三文役者」を上映。午後4時、映画監督・神山征二郎さんと近代映画協会代表取締役・新藤次郎さんが殿山泰司を語る。

前売1800円ペア3000円当日2000円。

【問い合わせ】TEL090-1688-1276根葉。

三文役者

殿山泰司役の竹中直人=写真中央

国体クレー射撃 因島の小林さん 33回目の出場

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因島中庄町の小林守太さん(71)が、第70回国民体育大会(紀の国わかやま国体)のクレー射撃(10月2日~4日)に監督・選手として出場する。昭和55年栃木国体以来の33回目出場。

平成9年アジア選手権チャンピオン。第66回山口国体で個人・団体優勝。第68大会で30回出場表彰。

現在、広島県クレー射撃協会会長。

小林守太さん

小林守太さん


日本棋院因島支部60周年 記念大会に80人が対局

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日本棋院因島支部創立60周年記念大会が13日、本因坊秀策囲碁記念館で開催され、80人の愛好家が対局を楽しんだ。

日本棋院からは石井邦生九段、山本賢太郎五段、水戸夕香里三段が参加し、指導碁を行なった。

対局は4クラスに分かれて行なわれた。優勝者は次の通り。

Aクラス=岸田一男(因島鏡浦町)▽Bクラス=前川忠孝(因島土生町)▽Cクラス=村上伸人(因島田熊町)▽Dクラス=穴吹壽男(山波町)。

日本棋院広島県本部師範 山本賢太郎五段に聞く

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山本賢太郎五段

日本棋院因島支部60周年記念大会の会場で山本賢太郎五段=写真=に話を聞いた。山本さんは日本棋院広島県本部師範。一週間に一回、福山大学で講義として囲碁を教えている。

鳥取県倉吉市出身の34歳。父の影響を受け4歳から囲碁を始め、子供教室に通うようになった。小学校4年の時に日本棋院関西総本部の院生になり、大阪の小学校に転校。

石井邦生九段の励ましを受け、中学3年で入段し、プロ棋士になった。

21歳の時、地方での囲碁普及の目的で広島県師範として広島市に居を移し、活動している。因島にも度々訪れている。高校や大学でも指導を行なっている。

山本五段は「広島の地にもっと根をはり、囲碁普及に力を注ぎたい。全国どこでも注目される、秀策先生の地で貢献できることは大変嬉しい」と語る。

因島・生口島の未来模索 まぜこぜ島づくり会議 河田健一さんに聞く

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これからの因島・生口島について考えようと、「まぜこぜ島づくり会議」プレビュー会が9月12日、瀬戸田町で開かれたが、その事務局を務めた河田健一さんに話を聞いた。

河田健一さん

河田さんは38歳、福山市出身。グループホームオリーブハウス因島・瀬戸田所長。シーポート事務局長。

「島づくり会議」には次の12分野から21人が出席した。

柑橘農家▽名荷郵便局▽防災士会▽社会福祉協議会▽民生委員▽手をつなぐ親の会▽南部包括センター瀬戸田支所▽認知症家族の会▽クラシタ▽夢工房▽雑誌記者▽瀬戸田高校しまおこし事業部。

河田さんが介護職についたのは2000年のこと。介護の現場の厳しさ知り、心と身体のケアの必要性を痛感。3年後グループホームに就職し、認知症の入居者とともに炊事をしながら暮らし始めた。

2007年、オリーブハウス因島に管理者として赴任した。4年後オリーブハウス瀬戸田の所長に就任。

そこで彼がめざしたものは次の3点。

  • 第一に入居者が食べたい物を自由に食べられる。かれはそれを田舎式バイキングと呼ぶ。
  • 第二は夜間入浴の採用。
  • 第三に入居者の描いた絵などを展示し、地域の人に観てもらう。

シーポート設立

2011年、小規模介護事業所などが連携する活動集団シーポートを設立し、事務局長に就任。

その目標は、認知症の人たちがひとりでも自由に外を歩ける環境をつくることにあった。まず家族が孤立しないように地域全体の理解を広める努力を行なってきた。

そのために、映画会や講演会を開催した。一定の成功をみたが次の課題が浮き彫りになった。それは、認知症に関心を持ちえていない人たちにどのように理解してもらうかという問題である。

地域活性化こそ

認知症のサポートには地域の活性化が不可欠であることを強く感ずるようになった。

家族の側からすれば、認知症だけに関わっておれないという厳しい暮らしの現実があることに気付いた。そうした状況のなかで、身体介護を必要とする入居者が住みにくくなっている現実もある。

(つづく)

沢(瀬戸田)―須波(三原)土生商船が航路継続

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尾道市瀬戸田町沢港と三原市須波港を結ぶフェリー航路の運航事業者が1日、土生商船グループのしまなみ海運(三原市)に変わった。6年前から運行を行なっていた須波航路サービスから引き継いだもの。

しまなみ海運の弓場丞会長は、「通勤、通学になくてはならない生活航路なので、土生商船グループの航路全体のコスト削減をはかり、自社航路の再編をも視野に入れながら継続していく」と語った。

土生商船は従来の土生―三原高速船、重井―三原フェリー以外に次の事業拡大を行なってきた。

平成21日4月、竹原―大長(大崎下島)高速船。同年11月、小長(大崎下島)―明石(大崎上島)フェリー。今回の沢―須波フェリー。

写真は須波港に停泊中の第七かんおん(旧やっさもっさ)。

第七かんおん(旧やっさもっさ)

四国遍路スケッチの旅【57】20番札所 鶴林寺(徳島県勝浦町)

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20番札所 鶴林寺(徳島県勝浦町)

標高550mの山頂にある20番鶴林寺は八十八ヶ所屈指の山岳霊場だが、山門近くまで車道が通り、駐車場が整備され、いたって便利。

鶴林寺は「お鶴さん」と呼ばれたようで境内に鶴の像が立っている。鶴があれば亀もある筈。どこかで見たような気がするが…。(注・39番延光寺に大赤亀の石像があり)

そんなことを思い起こしながら、本堂前に立つ鶴の像を入れてのスケッチ。雑なスケッチの一枚となった。

樹齢数百年を越える杉の大木が立ち並ぶ。遠く四国山脈が望める。次の21番太龍寺も山岳霊場だ。

(絵・文 大橋博)

20番札所 鶴林寺(徳島県勝浦町)

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