能島村上氏墓地(福山市内海町常楽院)
田島の天神山城跡の南に能島村上氏の墓地がある。ただし道は別々である。天神山城跡へは山の西側を歩いて登る。墓地へは山の東側の自動車道を南へ登り常楽院という真言宗寺院を目指す。
常楽院を訪ねたのは、因島村上氏六代吉充が1569年に向島余崎から重井の青木に本城を移した時、白滝山観音堂の堂主にしたのが常楽院静金であったので、何か関係があるのかと思ったからである。残念ながら関係はなかった。しかし能島村上氏の墓があった、というわけである。
村上範和と村上吉高の率いる田島と百島の連合軍が因島大浜の幸崎城を攻めたとき討死した範和の墓もあると言われている。
この戦いは三者とも因島村上氏の身内だから、お家騒動と呼ばれているが真相はわからない。能島村上氏の家督を争った村上武吉の戦いと関係したものだとすればわかりやすい。しかし、例えば八朔の起源が因島村上氏にあるというような話でもそうだが、魅惑的な説は安易に受け入れたくなるようだ。やはり文献的な確証を得るまでは無関係だとしておくのが無難であろう。
この幸崎城攻め以降、田島村上氏は能島村上氏に変わった。
(写真・文 柏原林造)