宝池谷の石塔(因島土生町郷区)
空谷農道の石碑を左に見たら、上を向いて歩こう。坂を登って陸橋の下を過ぎたら、すぐに右手を振り返ろう。そこから宝地谷が広がる。斜面に立つ木々の間に、大小120ばかりの石塔が所狭しと並んでいる。
第二家老稲井氏の菩提寺宝持寺があったところである。慶長5年(1600)の因島村上氏の退去に伴い、稻井氏も因島を去った。ほどなく宝持寺は廃寺となった。五輪塔、一石五輪塔などが斜面に集められているところを見ると、平地を畑にして石塔をここに集めたのではないかと思われる。
愛媛県東予市に住む子孫の方が昭和56年に建てられた新しい石碑がある。「脇屋義助子孫因島村上家第二家老 小丸山城主 稻井家墳墓」と書かれている。脇屋義助は新田義貞の弟で、足利尊氏らと鎌倉幕府を倒した。第一家老救井氏は新田義貞の子孫だと言われている。
石塔の下にある建物が郷の荒神さんで知られる須佐神社である。宝持寺の守護神として祀られていたと、社殿前の石碑に書いてある。
(写真・文 柏原林造)