戦国時代に姫路まで勢力を伸ばした毛利元就一族。関ヶ原の戦い後、長州・萩へと追い込められて、吉田松陰ら民兵が徳川幕府に対しクーデターをおこし幕末を膳立て、薩長連合軍で近代日本が誕生した。
萩に隣接している石見(いわみ)の浜田城や松江城主は何をしていたのだろう。作家司馬遼太郎によれば徳川三百年の平和ボケで戦いを忘れた武士族は白旗をあげることも知らなかった。あげくの果て浜田城主は城に火を放ち、自らは側近を小舟に乗せて海上に逃走、降伏の意を伝えたという。松江城は城の周囲が堀川でかこまれており城のある島根半島を攻めるには橋一本で日時がかかると判断、湯茶と食料を準備してお通りを願ったそうだ。
このうちの一つである松江城天守が国宝に指定されることになった。関ヶ原の戦いで出雲、隠岐の領主となった堀尾氏が築城1611年に完成、現存する全国12天主の一つ、国の重文から国宝になったものの今後、城をまちづくりにどう生かすか新たな課題となっている。
(村上幹郎)
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