百枚田跡(因島中庄町奥山)
「因島中庄町の奥山ダムは因島最大の溜め池である」と書いたら笑われるだろうが、江戸時代の溜め池と、農業用水を溜めるという機能においては変わるところはない。掘ったものと谷川を堰(せき)とめたという構造上の違いはあるが。また、江戸時代の多くの溜め池が水田用であったのに、奥山ダムは畑地の灌漑を主な目的とするのも異なる。
その奥山ダムの上流へ遡ってみよう。草が生え、倒木が散乱して壊れかけた農道の横は低くなって水が流れているが、その近くに杉が整然と植えられているのは壮観である。よく見ると段差ごとに石垣が丁寧に組まれており、独特の景観をなしている。田んぼの跡に植林されたものだと聞けば納得する=写真上。
さらに登ると岩石で巧みに造られた橋がある。そこを越えても、田んぼの跡らしき段差と石組みがあり、田んぼがかつて存在したことを想像しながら進むと奥山林道に出る。その舗装された林道を横切ってそのまま上へと登っていくと、傾斜は徐々に急になる。しかし、段差ごとに石垣が積まれ、ごくわずかの平地が続く。かなり上に行っても、意外に広いところが何箇所かある=写真下。
おそらく田んぼとして使われていた頃には、いたるところに伸びて、日光を遮る潅木も切られていただろうし、それぞれの棚田には水が張られ、今では想像できないような光景が広がっていたのだろう。
数えてみたら99枚あったので、さらに努力して百枚にした。だから百枚田というのだと聞いた。それが江戸時代の話か明治以降の話かは知らない。考えてみれば、これだけの田んぼが一朝一夕にできるものではなかろうから、何年もかかって出来たものだろう。大雨の降った年には整備や修復に追われて、新しく作る余裕などなかったに違いない。
普通、稲作といえば、高緯度の寒冷地への進展は記録に残されているが、高度はあまり問題にならない。海抜を競ったところで元々集落が高いところにあったというだけで数値以上のものではない。しかし、集落からの高さを考えた時、ここの田んぼは驚異である。
白滝山の中腹にも田んぼはあったというし、他の山でも古い砂防ダムのような石積みはその名残だと思われるが、この奥山の百枚田跡は高さと規模において特筆に値する。そして耕して山頂に至るといわれた段々畑にも増して過酷な労働条件を思えば、全く先人の努力には頭がさがるばかりである。
写真・文 柏原林造
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