前号に続いて司馬遼太郎にスポットをあてておきたい。そもそも因島と司馬さんの結びが戦争ということだから縁は異なものである。学徒出陣で隣り合わせになった戦友は橋本輝昭さんといい終戦後父母のいる尾道市因島へ復員した。ひと口に言えば似た話はよくあることだ。
司馬さんは「橋本君は命の恩人だ」とよく口走っていたが具体的に話題に上がったことはない。しかし、司馬さんの運動神経や体力からおもんばかるに橋本さんに助けてもらうことが多かったことはたしかである。
新聞社内には小説を書いている記者は何人かいた。特に司馬さんは小説を書いていることは、なんだかはずかしいことのようにおもえて、社内の人にもほとんど話さないから、直木賞受賞のニュースが入ったときも「へえー」と同僚社員はあっけにとられた。それからが大変。当時、司馬さんはサンケイ新聞社文化部デスクだったので部下に「直木賞受賞作家」を紹介する欄の編集で、自分のことを取材させるはめになった。
(村上幹郎)

初年兵時代の橋本さん(上右)と司馬さん(下)。2人とも眼鏡。